結城友奈は勇者である 総合:☆☆☆☆☆
魔法少女は魔女と戦うことを条件に、どんな願いでも叶えてもらえます。あくまで自分のために魔法少女になります。登場するキャラのほとんどは、誰かのために願うのですが、ヒロイン以外は結局、自分の身近な者のためのお願いをしていて、回り回って自分のためにお願いをしていることに、ほぼ変わりはありません。このため、魔法少女になった後、想定外の状況に気付くたびに怒り出すものの、インキュベーター(魔法少女を家畜と同様に太らせて食ってしまおうとする宇宙からの使者)の主張に、反論できず、あくまで感情として受け入れられないレベルに陥っているように側からは見えてしまいます。
勇者は神に指名されるため、ほぼ選択肢はありません。世界を救うこと、イコール、自分を救うことになりそうですが、自分は生贄なので、自分が救われることはありません。そして、「世界を救った代償がこれかっ!」と怒る勇者も、その理由は、自分が生贄とされたことよりも、妹や仲間を犠牲にしてしまったことに怒っています。みんなを巻き込んだ自分に怒っているのです。そもそもそういうマインドを持つ少女でなければ、神は勇者に選ばないと言えます。「ゆゆゆ」の時代の勇者には、一応、戦う意思を示さないでも良い、選択肢も与えられていましたが、それに応じない少女も、やはり神は選んでいないでしょう。これらは、「ゆゆゆ」の周辺設定である他の「勇者であるシリーズ」を含めて「観る・読んでみる」すれば、理解できるのではないでしょうか。
勇者は神に指名されるため、ほぼ選択肢はありません。世界を救うこと、イコール、自分を救うことになりそうですが、自分は生贄なので、自分が救われることはありません。そして、「世界を救った代償がこれかっ!」と怒る勇者も、その理由は、自分が生贄とされたことよりも、妹や仲間を犠牲にしてしまったことに怒っています。みんなを巻き込んだ自分に怒っているのです。そもそもそういうマインドを持つ少女でなければ、神は勇者に選ばないと言えます。「ゆゆゆ」の時代の勇者には、一応、戦う意思を示さないでも良い、選択肢も与えられていましたが、それに応じない少女も、やはり神は選んでいないでしょう。これらは、「ゆゆゆ」の周辺設定である他の「勇者であるシリーズ」を含めて「観る・読んでみる」すれば、理解できるのではないでしょうか。
「ゆゆゆ」は「まどマギ」の最初に示した救いようのない世界観や、結果としてのヒロインの犠牲を、なんとかしたかったのだとは思いますが、二つの作品に共通する「大切な人を守りたい気持ち」に共感できるのならば、両方の作品共に、とても楽しめるお話だと思います。
次回は、それぞれの作品の個人的なお気に入りなどをお伝えしたいな、と思っています。
円盤は高いので手が出しづらいのですが、アマゾンプライムは割とおすすめかもです。M-1の全年度やバッカーノ!やらなんやらは、これで観てたりします。違法海外サイトを観るよりは快適だし、作った人たちに失礼にならないですしね。自分はappleTV経由で普通のテレビで観ています。
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