全ての「物語」はここから始まる。
劇場用アニメ、三部作。
原作は化物語のすぐ後に全1巻で刊行されましたが、アニメでの公開は終物語の後になります。
2016年1月 鉄血篇
2016年8月 熱血篇
2017年1月 冷血篇
1年がかりでの公開は少々西尾維新印らしからぬ制作優先の進行です。まとめて観た方が良いと思います。そもそも原作1巻ですし、そこまで間を持たせられる内容ではないんじゃないかと。
アニメを放映順に観ていると、どうしてもこの時期の出来事が気になってしょうがないんですが、実際に終物語の後に観ると、既出の部分もあるわ、その他の物語では曖昧に見逃されていた阿良々木暦の危険性をここへ来てようやく正面から叩いてくるわ、に戸惑います。
「マア、大キナオ世話モ余計ナオ節介モアリガタ迷惑モ」
「阿良々木君にされるなら、そんなに悪くないのかもしれないわ」
By 戦場ヶ原ひたぎ(化物語にて)
と、なんやかやと誰にでも優しい阿良々木暦は結局、すべての怪異をなし崩し的に収束できていたのですが、この物語は、そんなに甘くはなかったのです。
この話を知ってから偽物語以降を観るのと観ないのとでは、物語シリーズ全体の印象が少なからず変わってくる、と感じました。
特に
・羽川翼と阿良々木暦の関係。
何故ガハラさん?に関して、
他のヒロインが語る時のインパクトが変わってきます。
・終物語の必然性。
まあ、、〇〇は死んでも治らなかったんですが、
死ななきゃならないほどの理由はよりハッキリします。
など。
自分はこの傷を知った上で、全ての物語を聞いた方が良いとする立場です。
一介の男子高校生が怪異となるきっかけ、物語の始まりの物語。
・演出
確かに寄り道の多い物語シリーズではあるのだけれど、ここでの脱線具合は流石に全体の流れを阻害してるでしょう。どうも、化物語の後、傷物語・偽物語とちょっと原作が変な方向に流れたんじゃないですかね。相変わらず所々にキレの良い秀逸なセリフはありますし、物語シリーズは物を語りすぎてるのが楽しいわけですが、それにしても限度があると思うんです。その微妙絶妙なさじ加減の取り方のうまさが魅力だった筈なのですが、化物語、刀語で成功した作者のやり足りなかった表現をやりたい放題にやりすぎた結果が、傷物語と偽物語の失速につながりました。猫物語(白)くらいから化物語で見せた西尾維新の物の語りの魅力本来を取り戻されたようです。あくまで個人の感想ですw
・作画
良いです。さすが劇場版。時間もかけてますしね。ただ、制約のあるテレビアニメ版ならではの一定の節度の中で完成されていた表現手法のタガが、ここでも外れてしまっているのが、テレビアニメ版からのファンからするとやりすぎ逆効果になってしまって感じるので残念です。
・演技
この悪ノリはあまりに本編から遠い場所に来すぎていないか?と思うエピソードも、神谷浩史さん、堀江由衣さんの会話を楽しむ方向に切り替えて観ていれば、まあとりあえずいいかな、と思わせてくれる演技力はさっすがっす。
また、坂本真綾さんの5種類のキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの演じ分けは見事でした。もちろんそれぞれで演じ分けられた演技そのものも。
櫻井孝宏さんのおとなのかっこよさは、恋物語の三木眞一郎さんと同様、とっても素晴らしいです。
・音楽
途中に挟まれる黒とか赤とかもフランス語だし、歌もフランス語。キスショットが元はフランス人だと暗示でもしているのかな?基本的に音楽に関しては平常運転で良かったです。
阿良々木暦の矛盾と危うさに関しては、斧乃木余接や忍野扇も痛烈に非難してきているのですが、やっぱり大人の男が言うと迫力が違います。人は異性に対するより同性に対しての方が、より残酷になれるってのもあるかもしれません。
「みんなが幸せになる方法を教えて欲しい。誰も不幸にならずに済む、そんな方法を。」
「あるわけないじゃんそんなの。バカじゃないの。」
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