2019年9月29日日曜日

鬼滅の刃

鬼滅の刃  総合:☆☆☆☆☆

連載中のジャンプ漫画が原作。原作は未読です。
2019年4月スタート。全26話。30分枠アニメ。

・ストーリー 
大正時代の日本。山奥で亡くなった父親の後を継ぎ炭焼き・炭売りを生業にしていた竈門炭治郎13才。貧しいながらも母や幼い弟妹たちと共に穏やかに暮らしていた。
ある冬の日、炭治郎は炭を売りに人里に出たが、帰りが遅くなったため、山の麓の知り合いの家に泊めてもらうことになった。知り合いが言う事には「夜は人を食う鬼が出る。あまり暗くなってから山の中を歩いてはいけない。」
朝早くに目覚めた炭治郎は、家を留守にした事に焦りながら、山を急いで登った。家に近づくにつれ、血の匂いがした。炭治郎は人一倍、鼻が効いた。そして、嫌な予感は的中した。
家の玄関のすぐ外に、弟と、すぐ下の妹・禰豆子がその弟を庇うように倒れていた。二人の周りの雪は真っ赤に染まり、一目見ただけで深刻な状態であることは容易に想像できた。炭治郎は玄関に駆け寄るが、家の中には同じように惨殺されていた母や弟妹たちの亡骸があるだけだった。
かすかに息のあった禰豆子をおぶり、村の医者まで運ぼうとする炭治郎。ただ一人残った家族を助けるため、必死に積もった雪の中を進むが、途中、禰豆子の様子が変わった。見開いた目は赤く、瞳孔は猫のように縦長になり、大きく開けた口には牙のようなものが生えていた。そして体も巨大化し、炭治郎に襲い掛かったのだ。有様の変わった禰豆子を見ても、炭治郎は恐れなかった。助けたい一心で、禰豆子の理性に向かって励まし続けた。
そんな炭治郎を助けたのが、鬼殺隊剣士の富岡義勇だった。富岡は炭治郎の家族が鬼に襲われた事、そして、禰豆子は鬼の血を浴びて、鬼になってしまったことを告げ、禰豆子を退治しようとする。しかし、自分の命と引き換えにしてでも鬼となった妹を助けようとする炭治郎と、その炭治郎を庇おうとする鬼の禰豆子を見て、彼女に理性のかけらが残っている事に気づき、二人の絆にかすかな希望を託して、殺すことをやめるのだった。
この物語ではそうして生かされた炭治郎が、妹との絆を守るため、妹を元の人間に戻すため、鬼との厳しい戦いに踏み出す、最初の一歩が描かれる。

原作の設定、展開、キャラ、作画がまずは素晴らしいのでしょう。
とくに主人公・炭治郎の素直・前向き・努力好き、そして、圧倒的な善性と、それを原動力にした明確な目標への行動力が面白さを決定づけています。脇を固める人たちも個性溢れていて、物語を彩り豊かにしてくれています。


・演出
原作の魅力を更に高めた演出です。
脚本、作画、音楽、演技。総合芸術として妥協のない演出をされていて欠点が見当たりません。通常のアニメでは、登場人物の行動原理に不自然さが見えてしまったり、設定のアラが気になったり、音楽が主張していたり、音楽がシーンを外していたり、キャラの顔が別人かと思うように不安定な作画になったりなどなど、何かしら引っかかるものが出てくる事が多いのですが、このアニメでは、そう言ったツッコミドコロがほとんどありません。現実を忘れ、物語に没入する事ができます。気持ち、エピソードを長く引っ張るなあ、と思う所はありましたが、引っ張るなりに飽きさせない仕掛けが用意されているので、いつの間にか時間が経ってしまっています。

・作画
漫画らしい絵柄ですが、26話を通して終始安定していて破綻しません。アクションの作画も素晴らしく、この迫力ある戦闘シーンは漫画では味わうことができないでしょう。アニメにおいても、機動戦士ガンダムで見せた板野サーカスは衝撃的でしたが、時代が進むごとに発展していく技術革新の速度は凄まじく、当時の映像を今は遥かに凌駕しています。ガンダム対グフで、命の危険を察知した時に時間が遅く感じられる状況をスローモーションで再生する演出などは、もちろん応用して使われているのですが、最も驚異的なのは、3Dで視点を変えながらセル画で実現していた「高速で移動する戦闘を、カメラが高速で迫力あるデフォルメを加えながら追い切る」板野サーカスが、3Gを利用することで、さらに正確かつダイナミックな動きで表現されるようになりました。今の技術は圧倒的です。加えて、人の動体視力(通り過ぎる電車の中の人が、一瞬止まったように見える現象)のなせる技を取り入れた作画は、テレビ画面の反応速度の遅さを補い、観るものにハッキリ見える迫力のあるアクションを届けてくれます(炎炎の消防隊でも多用されているように思います)。円盤のコストパフォーマンスは悪いですが、ここまで作り込まれたアニメはそうはないです。ゆえに、納得せざるを得ません。

・音楽
フィルムスコアリングによるサントラで、主に椎名豪さんが担当されていたようです。素晴らしかったですね。総合芸術として、しっかりアニメを支えていました。特に19話の「竈門炭治郎のうた」をバックに展開された死闘は、アニメ史上に残るんじゃないでしょうか。
OP/EDも変更せず。これは最近の風潮からすると英断でしたし、アニメ全体を俯瞰してみた場合、顔を変えない方が良い結果が生まれやすい好例だと感じています。2クールくらいなら、このアニメのように、一貫した方が良くないですかね。

・演技
いや、もう、錚々たるメンバーなんでw キャスティングも演技指導も完璧じゃないでしょうか。出演者の演技力に吸い込まれます。ここまで書いてきて、いいからもう、自分で観てくれ、と、身もふたもないことを言いたくなってきましたがw、あえて、やっぱり、炭治郎役・花江夏樹さんが素晴らしかったですよね。アニメで演出過多だなあと感じる場面の多くは「良いこと言った風の場面での言われた側の反応」が感動させたがりなんです。オーバーアクションな表情変化や、声の演技にありがちな無駄な感嘆符。漫画原作の場合、特にそうなる傾向にあります。劇画ですからね。実写と違って、オーバーになるのは致し方ないことではあるのですが、やり過ぎは気になります。このアニメでも、そういう場面はあるのですが、花江夏樹さんの演技や、作画の演出(最終話ではフッと風が顔に当たる)によって、うまく抑えつつ、言われた側の感情変化がしっかり伝わるようなスマートな演出・演技だったのも、自分がこのアニメに極めて好意的な理由のひとつです。

声優さんが演技を声だけに頼らなけらばならないが故のオーバーアクションが、監督さんの俳優さん起用を後押ししていると思うのですが、いやいや、声優さんにきちんと演技依頼すれば済む話でしょ、と思います。このアニメのように、ちゃんとできるはずなんですから。声優さんは声の演技に関してはプロなんですから。そうしないのは、やっぱり、プロモーションありきのキャスティングなんだな、と勘ぐっちゃいたくなるのです。

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